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国華園の大菊花展観賞ウオーク(大阪) [ウォーキング大阪府]

「国華園の大菊花展観賞ウオーク」に参加してきました。(20171105)

光明池
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大阪南部の国華園の大菊花展、金剛寺などを訪れてきました。

当日は晴れ、最高気温17.2℃。秋晴れの気持ち良いウォーキングになりました。



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集合場所河内長野駅を出発して文化会館を経由して金剛寺まで歩きます。

河内長野駅を出発します。
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文化会館
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金剛寺に向かいます。
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金剛寺(こんごうじ)
金剛寺は今から800年前、平安朝の文化人、小松内大臣、平重盛公の創建による古寺と伝えられていて、歴史と信仰を有する名刹の古寺。高野山が女人禁制だったのに対して女性も参詣ができたため、女人高野とも呼ばれるそうです。
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金剛寺で昼食休憩になりました。
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昼食休憩後、国華園、国分峠、光明池を経由して光明池駅まで歩きました。

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国華園に向かいます。
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国華園(こっかえん)
創業昭和2年。菊の育種販売から始まり、今では日本中、世界中の植物や園芸資材などを取り扱っているそうです。今回のウォーキングの目的の一つである第34回日本菊花全国大会を見てきました。(開催2017/10/20~11/23)
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日本菊花全国大会に展示された花
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少し休憩後、国分峠、光明池に向かいます。

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国分峠
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光明池緑地に着きました。
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光明池(こうみょういけ)
池の南西畔から副堤防・本堤防を経て東畔にいたる遊歩道や池の南側をU字型に囲むように整備されている遊歩道は散歩コースとして多数の近隣住民に利用されていて、池によって分断されている光明台地区をつなぐアーチ橋である「光明池大橋」が架けられている。緑豊かな環境から1989年に「大阪みどりの百選」に選定。2009年には「大阪ミュージアム」にも登録されているそうです。
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この後、光明池駅まで歩きました。
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ご訪問していただきありがとうございました。



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髭の渡しコスモス観賞 [ウォーキング兵庫県]

「髭の渡しコスモス園観賞」に参加してきました。(20171104)

コスモス園
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兵庫武庫川沿いの髭の渡しのコスモス園などを歩いてきました。

当日は曇り、最高気温21.1℃。途中から小雨がぱらつく中のウォーキングになりました。


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集合場所伊丹駅を出発して大蓮寺、猪名野神社、西国街道、昆陽寺を経由して髭の渡しコスモス園まで歩きます。

伊丹駅を出発します。
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大蓮寺(だいれんじ)
寺伝によると、天正15年(1587)専蓮社岌念把公上人大和尚の開山といわれている。旧本堂は元禄12年(1699)大火により全焼し、その後再建されたもので、明治10年(1877)本堂と庫裏が改築され、現本堂は昭和62年(1987)改築されて屋根が寄棟から入母屋になった。阪神淡路大震災では本堂が傾いたが、現在は復旧している。山門は、平成9年(1997)コンクリート造りで再建されたそうです。
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猪名野神社(いなのじんじゃ)
猪名野神社は、兵庫県伊丹市に鎮座する神社。猪名野坐大神(素盞嗚尊)を主祭神とし、誉田別尊ほか4柱配祀されているそうです。
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西国街道を歩きます。
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昆陽寺(こやでら)
昆陽寺は奈良時代の名僧、行基が建立した畿内49院の一つで、天平3年(731年)創建の昆陽施院の後身寺院。朱塗りの山門と境内の観音堂が昭和44年に、また山門内に安置されていた広目天・多聞天立像が平成10年に、それぞれ兵庫県指定文化財となっているそうです。
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ここでしばらく休憩した後、髭の渡しコスモス園に向かいます。

髭の渡しコスモス園(ひげのわたしこすもすえん)
かつて旧西国街道の武庫川の渡し場があり、近くにある茶屋の主人の顔にちなんで「髭の渡し」と呼ばれているところ。ゴミの不法投棄などで一時は荒れ果てていましたが、地元住民が中心となる市民グループ「髭の渡し花咲き会」のメンバーをはじめとする多くのボランティアの努力により見事なコスモス園となる場所に生まれ変わった。コスモス園では7区画のコスモス畑が広がり、阪神間の秋の花の名所としてすっかり定着。例年、9月の始めに約550万本分のコスモスの種をまき、その後も雑草抜きや肥料やりなどの管理を行います。そして、10月下旬から11月中旬にかけて見事な色とりどりのじゅうたんが広がるそうです。
時期が少し早かったのか、咲いている花が少なかったように感じました
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ここで昼食休憩になりました。

休憩している時に雲が出てきて雨が降ってきましたが、暫くすると止みました。

昼食休憩後、武庫川河川敷を経由して甲子園口駅まで歩きました。

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このあと、甲子園口駅まで歩きました。


今回Nicwボタンをクローズさせていただきました。

ご訪問していただきありがとうございました。




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大河淀川展望と大川散策(大阪) [ウォーキング大阪府]

「大河淀川展望と大川散策」に参加してきました。(20171101)

淀川右岸河川公園
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大阪淀川・大川沿いなど散策してきました。

当日は晴れ、20.2℃。気持の良いウォーキングになりました。


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集合場所扇町公園を出発して凌雲閣跡、網敷天満宮御旅所、十三大橋、淀川右岸河川公園、長柄橋、毛馬閘門、与謝蕪村生誕碑を経由して蕪村公園まで歩きます。

扇町公園
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扇町公園を出発します。
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凌雲閣跡(りょううんかくあとひ)
明治のはじめ、文明開化の時代には、高層の展望台をつくることが流行しました。凌雲閣はその代表的なもののひとつです。当時このあたり一帯は、鶴の茶屋などの料亭が立ち並んでいました。鶴野町や茶屋町といった地名は、その名残です。そこに茶店や温泉、ボート遊びのできる池などが並んだ「有楽園」という公園がつくられました。その中心となる施設として、堂島浜の壇重三という人の発案で、明治22年(1889)に建てられたのが凌雲閣です。構造についてはいくつかの説がありますが、木造九階建で、高さは130尺(約39メートル)、一・二階は五角形、三階から八階は八角形、らせん状に通路が巡り、九階部分には丸屋根の展望台と時計台(時辰台)がありました。難波に築かれた五階建の展望台である眺望閣が、「南の五階」と呼ばれたのに対して、凌雲閣は「北の九階」あるいは「北野の九階」として親しまれました。いつ頃まで建っていたのかはよくわかりませんが、昭和のはじめには撤去されて広場となっていたそうです。
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綱敷天神社御旅社(つなしきてんじんしゃおたびしゃ)
一千百年ほど昔の、延喜元年(西暦九〇一年)に、平安時代の学者であり政治家でもあらされた菅原道眞公が無実の罪をきせられ京都より九州の太宰府へと左遷された際に、この梅田の地で今を盛りと咲いていた紅梅に目を留められ、それをご覧になるため、乗ってこられた船の艫綱(陸と船をつなぐ綱)を円く円座状に敷いてご覧になられました。その由縁より、「綱を敷く」という意味から「綱敷天神社」と称され今に至る。「御旅社」は神様の別荘のようなもので、大阪市北区神山町に御鎮座されます綱敷天神社御本社の神様が夏の渡御祭の際に、地元梅田の町が平穏であるかどうかご覧になられ、その時にお休みになられる為のお社が御旅社。この御旅社は元々御本社の南にあり、古くには「梅塚天神」とも称され、菅原道眞公がご覧になられた紅梅がありましたが、明治の初年頃にこの梅田・茶屋町の氏神さまとしてお迎えしたいと土地の寄進があり、現在の地に鎮座。故に臨時で設けられる普通の御旅所とは異なり、常に御祭神が鎮座まします御旅所という事で、当神社では正式には「御旅社」と申します。現在の社殿は昭和五十九年に旧社殿の老朽化と、梅田の地を幾度も襲った淀川の洪水から御神体をお守りするために立て直されたもので、今も昔も変わらず、梅田の街を行き交う人々を見守られておられるそうです。
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梅田界隈を眺めた後、十三大橋に向かいます。
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十三大橋
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十三大橋を渡ると淀川右岸河川公園を歩きます。

淀川右岸河川公園
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東海道本線の下を通過します。
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長柄橋を渡ります。
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淀川大堰(よどがわおおぜき)
淀川大堰は必要な水を使えるように水の高さを調節したり、海の水が流れ込まないようにする施設。長さは330mあるそうです。
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毛馬閘門(けまこうもん)
毛馬閘門は、水面の高さが違う大川などの市内の川と淀川を船が行き来するためにつくられたそうです。毛馬閘門は毛馬から大川(旧淀川)を経由して大阪湾に流れる川の制御。一方、淀川大堰は毛馬から西へ流れる淀川の水量の制御をしているそうです。淀川は古くから洪水、治水を繰り返してきた。淀川大堰の完成にはオランダ人ヨハネス・デ・レーケ(1842-1913)助言を受けたそうです。
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与謝蕪村生誕碑(よさ ぶそんせいたんひ)
俳人・画人として近世文芸史上に不滅の足跡を残した与謝蕪村は享保元(1716)年当時の摂津国東成郡毛馬村に生まれた。17歳ころ江戸に下り、さらに10年近く放浪の旅を続けた後、36歳の秋、京都に居を構え、 その後、母の生地であった丹後に赴き、再び京都にもどりましたる。姓の「与謝」は丹後与謝郡にちなんで、改めたもの。淀川堤防上の碑にある、「春風や堤長うして家遠し」の句は、有名な「春風馬堤曲(しゅんぷうばていきょく)」に、故郷の毛馬村への想いを託して詠まれたもので、蕪村自身の筆跡を拡大して刻まれたもの。現在の句碑は昭和55年に建立されたもので、旧句碑は、淀川河川公園の北区側に保存されているそうです。
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蕪村公園
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ここで、昼食休憩になりました。


昼食休憩後、大川沿いからJR 天満駅まで歩きました。

蕪村公園の近くにある淀川神社がありました。

淀川神社(よどがわじんじゃ)
明治42年(1909)政府の神社合祀令により、城北村大字毛馬(現毛馬町、大東町)の氏神である八幡神社が大阪市北区中野町(現中野町)の櫻宮に、また城北村大字友渕(現友渕町、毛馬町の一部)の氏神である十五神社が古市村大字南島(現旭区)の大宮神社に合祀されました。 のち毛馬・友渕の両地域では失われた神社復興の願いが強く、昭和26年(1951)に旧十五神社の境内地と社殿を用いて、旧十五神社と旧八幡神社を合祀し、毛馬町・友渕町・大東町の総鎮守として再建されたのが淀川神社です。祭神は天照皇大神と八幡大神だそうです。
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大川沿いを歩きます。
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飛翔橋を渡ります。
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この後、天満駅まで歩きました。

ご訪問していただきありがとうございました。



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ミステリーウォーク平野区 [ウォーキング大阪府]

「ミステリーウォーク平野区」に参加してきました。(20171026)

大念佛寺
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大阪平野区の歴史的な街並みなどを歩いてきました。

当日は晴れ、最高気温22.7℃。秋晴れの気持ち良いウォーキングになりました。

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集合場所加美駅近くの菅原神社を出発して平野下水処理場、畠山政長墓所、旭神社正覚寺城跡、杭全神社を経由して大念佛寺まで歩きます。

菅原神社(すがはらじんじゃ)
もと天児屋根尊を祀り橘宮と称したが、のちに天神社と称して、菅原道真公を祀る。創建の年月は明らかではないが、鬼門除けの神として信仰を集め、境内の砂を持ち帰る風習があった。明治5年村社となり、さらに40年10月南鞍作村の無格社天照皇大神社、41年10月鞍作、新家村の村社菅原神社を合祀した。しかし、新家村の天神社は近時旧地に戻って独立した。神社奥には、鞍作、南鞍作、新家の三ヶ村を潤した三鞍作用水樋門の記念碑があるそうです。
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菅原神社を出発して、平野下水処理場に向かいます。
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平野下水処理場
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平野下水処理場から南に向かって歩き、畠山政長墓所、旭神社に向かいます。

畠山政長墓所(はたけやままさながぼしょ)
畠山政長は、室町幕府管領(将軍を補佐し政務を統括する職名)で河内・紀伊・越中の守護をも兼ねていた。管領畠山持国のとき、その家督相続をめぐり持国実子義就と甥・政長との間に争いが起った(応仁の乱の一因)。政長は将軍足利義材(義稙)と共に正覚寺に本陣をおき、義就と対陣し、義就の死後河内の平定にのり出した。しかし、明応2年(1493年)義就の子義豊の逆襲にあい、あえなく敗北した。この兵火のため、壮大を誇った正覚寺の伽藍も焼失した。世にいう「正覚寺合戦」だそうです。
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旭神社・正覚寺城跡 (あさひじんじゃしょうがくじじょうあと)
古来から治水雨乞いの神として信仰を集め、祈雨祈願所として知られた。淀城主稲葉丹後守正益が寛延2年(1749年)に奉納した灯籠二基が現存し、また境内には樹齢600年以上のくす、いちょう、むくの木など天然記念物に指定された古樹がある。祭神は素盞鳴尊で、創建の年月は明らかでないが、縁起により天平5年(733年)頃と推測される。正覚寺城跡は現在、旭神社の境内になっているそうです。
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少し休憩後、杭全神社、大念佛寺に向かいます。
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杭全神社(くまたじんじゃ)
平安時代の初め貞観4年(862年)に坂上廣野麿の子当道が、素盞鳴尊を氏神として祀ったのが始まりといわれ、平野郷一円の守護神として信仰をあつめた。第二殿第三殿は永正10年(1513年)造営の記録があり第一殿とともに重要文化財に指定されている。境内には、全国で唯一、連歌所が残っており、市の文化財に指定されている。また、大くすの木は、樹齢850年以上と伝えられ、府の天然記念物に指定されている。毎年4月の御田植神事では、一年間の農作業の手順が猿楽の所作でユーモラスに表現され、7月の夏祭りでは氏地各町から出る九台の地車が勇壮に曳行されるそうです。
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平野川を渡ります。
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市の口地蔵
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大念佛寺(だいねんぶつじ)
融通念仏宗の総本山で、大治2年(1127年) 聖応大師(良忍上人)が建立したものである。当寺には国宝「毛詩鄭箋残巻」、重要文化財「融通念仏勘進帳」等があり、総本山特別行事として1・5・9月のそれぞれ16日に百万遍会(大数珠くり)、5月1日~5日の阿弥陀経万部会(万部おねり)はことに有名である。また、本堂は、木造の建物では大阪府下最大のものだそうです。
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大念佛寺で昼食休憩になりました。

昼食休憩後、平野駅跡プロムナード、全興寺、平野公園、奥田邸を経由して加美駅まで歩きました。

平野駅跡プロムナード(ひらのえきあとぷろむなーど)
このプロムナードは、チンチン電車の愛称で親しまれた南海電鉄平野線の軌道跡地に設置された。昭和58年4月に完成。南海電鉄平野線は、大正3年4月に開通以来、多くの人々の交通手段として活躍したが、地下鉄谷町線の開通に伴い、昭和55年11月に廃止されたそうです。
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商店街を歩きます。
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全興寺に着きました。

全興寺(ぜんこうじ)
平野がまだ広々とした野であったころ、ここに薬師堂が建てられ、そこを中心に人が住みはじめ、平野の町がしだいに広がっていったといわれる。本尊は薬師如来で、聖徳太子の作と伝えられている。また、当寺には、真田幸村が樋之尻口の地蔵堂に仕掛けた地雷によって飛来したという伝説をもつ「首の地蔵尊」や湛慶作と伝えられる「太子の像」がある。境内には、「地獄堂」や「水琴窟」「駄菓子屋さん博物館」もあり、見どころが多いそうです。
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赤留比売命神社(あかるひめのみことじんじゃ)
新羅より渡来の女神、赤留比売命を祀る。俗称の三十歩神社は、応永年間(1394~1428年)干ばつのとき、法華経三十部を読誦したところ霊験あらたかであったので、三十部神社がなまったものという。また一説では祭神が「三十町歩」の土地を三十歩と聞きまちがえたためとも伝え、耳の神として信仰を集めた。社殿背後の土塁と松山池には、かつての環濠集落の名残りが見られる。
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平野公園
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奥田邸(おくだてい)
奥田家は、代々鞍作の庄屋をつとめていた。現在の屋敷の建築年代は明らかでないが、手法から江戸時代初期の豪農の家と考えられる。市内に残る数少ない民家である。 敷地をはじめ、主屋・座敷・長屋門・納屋など全体としての姿を知ることができる貴重なもので、国の重要文化財に指定されているそうです。
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この後、加美駅まで歩きました。


ご訪問していただきありがとうございました。



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熊野街道をあるく_その3 [ウォーキング京街道_熊野街道]

「熊野街道をあるく その3」に参加してきました。(20171024)

大鳥神社
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今年のウォーキングの目標の一つ「熊野街道をあるく」に参加しました。

熊野街道
熊野街道は大阪天満の八軒家浜を起点として和歌山の熊野三山に至る街道です。
今回の「熊野街道をあるく」は大阪天満宮から東岸和田までを5回に分けて歩きます。


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今回は第3回目として堺東駅から鳳駅まで歩きました。


当日は曇り、最高気温18.2℃。気持ち良いウォーキングになりました。

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集合場所堺東駅を出発してザビエル公園、菅原神社、開口神社、住吉大社宿院頓宮、利晶の杜、神明神社、旧堺燈台を経由して大浜公園まで歩きます。

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堺東駅近くの堺市役所
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堺市役所を出発して暫く歩いた後、阪神高速沿いを歩きます。
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ザビエル公園に着きました。
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公園の前(東側)を路面電車が通っています。
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少し休憩後、菅原神社、開口神社、住吉大社宿院頓宮、利晶の杜に向かいます。

菅原神社(すがわらじんじゃ)
菅原道真自作の木像が堺の浜に漂着し、これを祭ったのがはじまりといわれています。天神さんと呼ばれ、堺戎(えべっさん)としても有名。鉄砲鍛冶・榎並屋勘左衛門の寄進により、延宝5年(1677年)に建てられたと伝えられる楼門(ろうもん)は大阪府指定有形文化財。これの特徴のひとつは軒を支える複雑な組物に、彫刻を刻んだ絵様肘木(えようひじき)という肘の形をした組物を用い建築技法を簡略化していることで、府下では数少ない楼門建築として貴重。また白壇や珍しい樹木、夏のホタル観賞、9月中旬の秋祭りのふとん太鼓でも知られているそうです。
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開口神社(あぐちじんじゃ)
行基が念仏寺、空海が宝塔を境内に建てたことで「大寺」とも呼ばれる塩土老翁神、素盞嗚神、生国魂神を祀る旧市内唯一の式内社。大寺縁起絵巻、伏見天皇宸翰御歌集、短刀銘吉光は国指定の重要文化財だそうです。
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住吉大社宿院頓宮(すみよしたいしゃしゅくいんとんぐう)
住吉大社の御旅所としての神社で、文化13年(1816年)が始まりとされています。後に大鳥大社の摂社も遷座され、それ以来2柱の神様をお祀りしています。毎年7月31日には大鳥大社からの御渡り、8月1日には住吉大社からの御渡りと、飯匙堀(いいがいぼり)での荒和大祓神事が行われます。飯匙堀は海幸山幸の伝説により、潮干珠が埋められたところといわれ、どんなに雨が降っても水がたまらない不思議な場所とされているそうです。
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利晶の杜(りしょうのもり)
千利休と茶の湯を歴史文化から解き明かす「千利休茶の湯館」、歌人与謝野晶子の作品世界とその生き方に触れる「与謝野晶子記念館」、堺観光の基点となる「観光案内展示室」などがあります。千家茶道由来の地である千利休屋敷跡に面した「茶の湯体験施設」では、表千家・裏千家・武者小路千家のお点前により椅子席でお抹茶と
お菓子を味わっていただく立礼呈茶や、茶道三千家の指導のもとお茶を点てる茶室お点前体験などが楽しめる。また、千利休がつくった茶室で唯一現存する国宝の茶室「待庵」の創建当初の姿を復元した「さかい待庵」があり、外観の見学だけではなく、その室内まで入ることもできるそうです。
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この後、神明神社、旧堺燈台から大浜公園に向かいます。

神明神社(じんめいじんじゃ)
由緒書によれば、天保3年(1832年)には当地に宇迦之御魂神(稲荷神)・住吉大神・金山毘古大神を祀る旭神社があったそうです。その後、天保12年(1841年)に堺奉行の水野若狭守(みずのわかさのかみ)が当町の繁栄・発展を祈り、地域の氏神として新たに天照大御神・豊受大御神を主祭神として合祀して神明社としたことが、当社の創建とされているそうです。
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旧堺港
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旧堺燈台(きゅうさかいとうだい)
堺のシンボルの一つとして保存。現地に現存する日本最古の木造洋式灯台として国指定史跡に指定されているそうです。
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大浜公園
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ここで昼食休憩になりました。


昼食休憩後は蘇鉄山、船待神社、石津神社、大鳥神社を経由して鳳駅まで歩きました。

蘇鉄山(そてつやま)
蘇鉄山は大阪湾に面し、幕末には黒船来航に備えてお台場(砲台)が築かれた場所を、明治12年(1879年)に大浜公園として解放され展望のよい築山として整備されたところです。蘇鉄山の約300m東南にあった御蔭山の頂に、近代地図作成のための基準点となる一等三角点が明治18年(1885年)に設定されました。その後御蔭山が削られ、昭和14年(1939年)に蘇鉄山の標高6.97mの所に移設されたものです。現在一等三角点の設置されている日本一低い山となっています。御蔭山は天保年間に港と水路浚渫により造られた山で、同時期に川浚えの土砂を積み上げてできた大阪の天保山とは兄弟関係にあたるそうです。
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宿院通近くです。
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ここからブロック地図2に沿って歩きます。

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船待神社(ふなまちじんじゃ)
当神社は元塩穴郷にあり塩穴天神社といわれ天穂日命を祀る。その後延喜元年1月(人皇第六十代醍醐天皇の御代)菅原道真公が太宰府へ下る途中河内道明寺を経てこの地に来たり船を待つ間この地に祀られてあった菅原道真公の遠い先祖に当たる天穂日命の祠に参拝し松の樹を植えて出発した。その後長保三年(1001)1月15日(一条天皇の御代)菅原朝臣為紀という人がこの地に来たときに残した種々の跡を調べ官にお願いして天穂日命の社に菅原道真公を合祀し船待天神社と改めた。その後寛治年中(1087~93)に塩穴郷より今の湊の地に再建されたものだそうです。
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石津神社(いしづじんじゃ)
八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)、大己貴神(おおなむちのかみ)、天穂日神(あめのほひのかみ)を祀っています。境内には、本殿・幣殿・拝殿・御輿倉と野見宿禰神社・天満宮があるそうです。
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熊野街道の標識がありました
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大鳥神社(おおとりじんじゃ)
和泉の一の宮、大鳥造の本殿は古代神社建築の1つ。日本武尊が死後、白鳥となって最後に留まった地に、周辺の人々が白鳥を祭るため建てた社が大鳥神社であると伝えられている。境内種々の樹木があり「千種の森(ちぐさのもり)」と呼ばれている。また、菖蒲園には10万本のしょうぶが群生しており、6月には一般に公開されるそうです。
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この後、鳳駅まで歩きました。


ご訪問していただきありがとうございました。




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想い出の熊野街道コース(大阪) [ウォーキング大阪府]

「想い出の熊野街道コース」に参加してきました。(20171021)


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大阪から堺まで、熊野街道の一部を歩いてきました。

当日は雨、最高気温17.3℃。雨が降り続いていたので途中でコースが変わりました。


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集合場所住吉大社駅近くの住吉大社を出発して遠里小野橋、大和川河川公園、境王子跡、方違神社、堺東駅まで歩きました。

住吉大社(すみよしたいしゃ)
全国に約2,300社ある住吉神社の総本社。下関の住吉神社、博多の住吉神社とともに日本三大住吉の一社。また、毎年初詣の参拝者の多さでも全国的に有名。四棟の本殿は国宝に指定されているそうです。
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熊野街道を歩きます。
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遠里小野橋を渡ります。
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大和川河川公園で休憩になりました。

境王子跡(さかいおうじあと)を通過します。

境王子跡(さかいおうじあと)
境王子は現在の大阪府堺市堺区北田出井町付近にあったと推定されている。この地域は、摂津国、河内国、和泉国の境があった場所で、境王子の名はこれに由来する。また、「堺」(「境」の別表記)という地名も境王子が置かれた平安時代後期から歴史文献に登場するようになり(1081年(永保元年)の『藤原為房卿記』には境王子が「和泉堺之小堂」という名称で登場し、これが「堺」という地名の初出である)、境王子がその由来となったと考えられているそうです。

写真がピンボケになっていました。
(以下の写真は以前(2017年9月26日)訪れた時の写真です。)
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方違神社(ほうちがいじんじゃ)
河内・和泉・摂津三国の境にある方位のない清地とされ方除祈願で有名。遠方への旅や家を移る時などに参れば災難に会わないという言い伝えから、新築・転居等の厄除けで各地から多くの人々が参詣に来られるそうです。
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雨が激しくなってきたので、堺東駅がゴールになりました。

この後、堺東駅まで歩きました。

今回、Niceボタンをクローズさせていただきました。

ご訪問していただきありがとうございました。




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緑豊かな古社古寺公園めぐり [ウォーキング大阪府]

「緑豊かな古社古寺公園巡り」に参加してきました。(20171018)

総持寺
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大阪茨木・高槻の歴史的な古社古寺などの街並みを歩いてきました。

当日は曇り、20.2℃。気持の良いウォーキングになりました。




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集合場所茨木駅を出発して岩倉公園、茨木神社、安威川・茨木川合流の碑を経由して西河原公園まで歩きます。

JR 茨木駅
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茨木駅近くの岩倉公園です。
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元茨木川緑地を歩きます。
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茨木神社(いばらきじんじゃ)
中条村・茨木村の氏神として多くの人々の崇敬を集め、楠木正成公が茨木城築城の際、現在の地へ奉遷し、以後代々の城主は厚い崇敬を捧げた。特に豊臣時代には、城主中川清秀、片桐貞隆等が上田を寄進し、徳川時代に、藩主永井家、大阪城代等から祭礼毎に重役を代参させるなど氏子と共に尊崇の誠を捧げたそうです。
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再び元茨木川緑地を歩きます。
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安威川・茨木川合流の碑(あいがわ・いばらぎがわごうりゅうのひ)
茨木川は、昭和初期までは茨木市北部の山地部から中央部を安威川と並行して流れ、三宅村で合流していました。昔は川幅が狭く、天井川で堤防の土質も軟弱なため、洪水のたびに破堤してたびたび大災害を起こしました。昭和10年(1935年)の水害後に河川改修事業を実施陳情書を提出。昭和16年(1941年)に茨木川は安威川に合流され現在の姿となりました。合流点以南は昭和24年(1949年)に廃川となり、現在は元茨木川緑地として整備され、人々の憩いの場となっています。洪水に悩み、懸命に努力を重ねてきた先人の賢明さとねばり強さを知り、苦労に感謝し、その功績を顕彰し、また、後世に引き継いでいくため、合流由来碑が建立されたそうです。
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西河原公園近く、安威川を渡ります。
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西河原公園に着きました。
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ここで、昼食休憩になりました。


昼食休憩後、新屋坐天照御魂神社、疣水神社・磯良神社、総持寺、三輪神社、普門寺を経由してJR 摂津富田駅まで歩きました。

新屋坐天照御魂神社(にいやにますあまてるみたまじんじゃ)
「新屋坐天照御魂」を社名とする神社は大阪府茨木市内に三社あり、延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳』に「新屋坐天照御魂神社三座 並名神大月次新嘗 就中天照御魂神一座預相嘗祭」として記載される式内社(名神大社)。西福井が中心的な神社。社名にある「新屋」とは「新野」を意味し、古代における新開拓地の意味であるとされるそうです。
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疣水神社(いぼみずじんじゃ)・磯良神社(いそらじんじゃ)
神功皇后(じんぐうこうごう)が戦に行く時、自分が女であることから、このままの姿では敵に嘗(な)められるので、男装をし、顔をいかめしくするため疣(いぼ)を身につけようと思い、通りかかったこの神社に立ち寄り、祈願して社の前から湧き出ている清水で顔を洗いました。すると、美しかった顔がたちまち大きな疣だらけの黒い顔となりました。戦いが終り、磯良(いそら)神社に戦勝の報告をしたあと、再び社前の清水で顔を洗うと、いままでの醜い顔が消え去り、もとの美しい姿に戻ったので喜び勇んで大和の王城に帰りました。後に磯良神社は、疣水神社と呼ばれ、遠くからもこの清水をくみ取りに来る人が見られるようになりました。
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総持寺(そうじじ)
総持寺は、大阪府茨木市にある高野山真言宗の寺院。山号は補陀洛山 (ふだらくさん)。西国三十三所第22番札所。本尊は千手観音だそうです。
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三輪神社、普門寺に向かいます。
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三輪神社(みわじんじゃ)
大己貴命(おおなむちのみこと)を祀る三輪神社。大和国三輪山に鎮座する大神(おおみわ)神社から勧請したとされ、もとは普門寺の鎮守社とも、富田村の産土神(うぶすながみ)ともいわれています。寛永16年(1639)に普門寺の龍渓禅師により再興され、寛延2年(1749)に社殿が修復されたことが、神社に残る奉加帳序や棟札からうかがえます。富田は、江戸時代の初めに酒造りが隆盛をきわめ、24軒もの造り酒屋があったといい、三輪神社は酒の神様を祀る神社として人々の信仰を集めています。本殿、合の間、拝殿で構成される社殿や、灯籠、狛犬など江戸時代の建物や石造物がよく残っているそうです。
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普門寺(ふもんじ)
明徳元年(1390年)、僧・説厳により創建。戦国中期には、室町幕府の管領・細川晴元や、14代将軍・足利義栄も滞在したことから、普門寺城とも呼ばれた。方丈(本堂)は国の重要文化財、枯山水庭園と石畳は国の名勝に指定されているそうです。
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この後、摂津富田駅まで歩きました。
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ご訪問していただきありがとうございました。



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淀川区をあるく(大阪) [ウォーキング大阪24区]

「淀川区をあるく」に参加してきました。(20171010)

神崎川河川敷
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大阪淀川区の歴史的な街並みなどを歩いてきました。

当日は晴れ、28.5℃。気持の良いウォーキングになりました。


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集合場所塚本駅近くの公園を出発して家具波志神社、富光寺、神崎川河川敷を経由して新高中央公園まで歩きます。

塚本駅近くの公園
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公園を出発して家具波志神社、富光寺に向かいます。
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家具波志神社(かぐはしじんじゃ)
天徳3年(959年)創建の古い歴史を持つ神社です。中世から江戸時代は稲荷信仰の中心地で「加島稲荷」と呼ばれました。祭礼の神輿に西国大名が道を譲ったほど威勢があったそうです。加島には元文3年(1738年)銭座が置かれ、品質のよい銅銭が造られました。神社の境内にある「香文館」には、この銭座の記録や、松木淡淡(俳人)・上田秋成の遺墨など、すばらしい社宝が保存されています。他に「楠木正儀駒つなぎ楠」、三好長慶奉納鳥居沓石」などもあるそうです。
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富光寺(ふっこうじ)
大化年間(645~650年)に、インドから来日し数々の奇跡を見せた法道上人が、当地区付近から霊光が出るとして阿弥陀仏を自ら彫り、堂を建て安置したのが当寺の起こりだとの伝承があります。この仏像は藤原前期の作と思われる丈六の見事なもので荘厳なたたずまいがあふれています。また、ある尼が聖徳太子の夢告を受け、草むらから仏舎利を拾い、当寺に納めたとの話も広く知られています。鎌倉時代には将軍北条時頼も訪れた古樹の繁茂する壮大な寺院だそうです。
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少し休憩後、神崎川沿いに新高中央公園に向かいます。
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旧猪名川です。
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神崎川河川敷を歩きます。
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新高中央公園に着きました。
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ここで、昼食休憩になりました。


昼食休憩後、十八条中央公園、蒲田神社、長柄人柱厳氏碑を経由して新大阪駅まで歩きました。

再び、神崎川河川敷を歩きます。
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商店街の中を歩きます。
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十八条中央公園に着きました。
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蒲田神社(かまたじんじゃ)
室町時代(1338~1573年)に地元の有力者佛生院又三郎が、「室の明神」の分霊をいただいて、村の鎮守として創建した神社。この付近は、蒲の生い茂る田園情緒豊かな所でしたから、明治42年からこの社名になりました。今も境内には大きな楠があるそうです。
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長柄人柱厳氏碑(ながらひとばしらいわおしのひ)
仁徳天皇が413年に高津宮を開かれたとき、摂津国長柄江には、多くの大小の島や沼沢、湿地帯、そして流れの速い所があり、大雨ともなればたちまち氾濫するなど、大変な交通の難所でした。そこで、都から山陰、山陽へ行くためには、長柄橋を造ることが仁徳天皇から推古天皇に至る200年間の最大の政治課題でした。推古天皇は、長柄橋の建設にとりかかられましたが、いま一歩というところで風水害にあい工事の中止を余儀なくされました。そのとき、垂水(豊津付近)の長者巌氏は、一身を犠牲にして長柄橋を完成することができれば、日ごろの報恩の精神に達することができると、人柱になることを献言しました。こうして、巌氏は白装束に身を包み、合掌し法華経を唱えつつ、生きながら川底に沈んだのです。人柱の霊験によって工事が進捗し、長柄大橋も竣工するに至ったといわれ、623年勅命によって大願寺が建立され、その寺内に徳を称えて碑が建立されたそうです。
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この後、新大阪駅まで歩きました。


ご訪問していただきありがとうございました。



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鶴見緑地と城北川ウォーク(大阪) [ウォーキング大阪府]

「鶴見緑地と城北川ウォーク」に参加してきました。(20171007)

鶴見緑地の風車とコスモス
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大阪の鶴見緑地と城北運河、城北川などを訪れてきました。

当日は雨、曇り、23.5℃。雨が降ったり、止んだりする中でのウォーキングになりました。

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集合場所桜ノ宮駅近くの公園を出発して大川沿い、城北運河、旭公園、北菫橋を経由して花博記念公園鶴見緑地まで歩きます。

桜ノ宮駅近くの公園
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雨が降る中、公園を出発します。
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大川沿いを歩きます。
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城北運河沿いを歩きます。
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旭公園で休憩になりました。
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休憩後、再び城北運河沿いを歩きます。
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北菫橋からは花博記念公園鶴見緑地に向かいます。
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花博記念公園鶴見緑地の東側のメタセコイアの並木道を歩きます。
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花博記念公園鶴見緑地につきました


花博記念公園鶴見緑地(はなはくきねんこうえんつるみりょくち)
風車の丘・ばら園・花桟敷・日本有数の大温室「咲く やこの花館」などの施設や、テニスコート・プールなどのスポーツを楽しめる施設があり、都会のオアシスとして多くの人々に親しまれています。
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ここで、昼食休憩になりました。
雨も止んで良かったです。

休憩後、迎賓館、鴻池新田駅まで歩きました。

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花博記念公園鶴見緑地のバラ園を通過します。
バラの花の満開には少し早かったようです。
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有名な風車は冒頭の写真のところです。


迎賓館の前を通過します。
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寝屋川を渡ります。
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この後、鴻池新田駅まで歩きました。
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ご訪問していただきありがとうございました。



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聖なる高台 西山古道(京都) [ウォーキング京都府]

「聖なる高台 西山古道」に参加してきました。(20171003)

西山古道
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京都の西山古道、西山三寺の一つである楊谷寺などを訪れてきました。

当日は晴れ、27.4℃。蒸し暑かったですが、気持の良いウォーキングになりました。

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集合場所長岡天神駅を出発して長岡天満宮、西代里山公園、西山古道を経由して楊谷寺まで歩きます。

長岡天神駅を出発します。
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直ぐに長岡天満宮に着きました。

長岡天満宮(ながおかてんまんぐう)
ご祭神は学問の神様として有名な菅原道真公。道真公が太宰府へ左遷される途中、かつて在原業平らと共に詩歌管弦を楽しんだこの地に立ち寄り、都を振り返って名残を惜しんだ事から「見返り天神」とも呼ばれていて、太宰府にお供した3人が別れ際に戴いた道真公自作の木像をご神体として祀ったのが長岡天満宮のはじまりと云われているそうです。
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本殿はお参りしないで西代里山公園に向かいます。
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西代里山公園(にしんだいさとやまこうえん)
西代里山公園は広さ約2haの公園。整備前は水田を中心とした里山風景でしたが、京都府北部と南部を結ぶ京都縦貫自動車道の整備にあたり、掘削土砂の置場として盛土され、そこで、乙訓地域自生の植栽を生育し、ゲンジホタルが飛び交う育成環境を整備することにより西山と一体となった里山公園として、また、京都縦貫自動車道の整備によって生まれる新しい空間に、人々が集い、憩い、楽しむことができる都市公園として整備したそうです。
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近くにコスモスが咲いていました。
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西山古道を歩きます。

西山古道(にしやまこどう)
西山古道は西山三寺の善峯寺、柳谷寺、光明寺を結ぶ約12KMの道で昔は信仰の道として利用されてきたそうです。
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細い橋を渡ります。
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古道脇に倒木を見かけました。
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木製の橋を渡ります。
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結構、怖い感じを受けました。
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楊谷寺近くの広場に着きました。
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楊谷寺(ようこくじ)
柳谷観音は806年(大同元年)平安時代、清水寺を開山された第一世延鎮僧都により開創されました。延鎮僧都は 『西山にて生身の観音様に出会うことができる』 という夢のお告げにより、清水寺からこの西山に入り、柳(楊)生い茂る渓谷の岩上に生身の観音様を見つけられました。その観音様が、古来より眼病に霊験あらたかな十一面千手千眼観世音菩薩だったということです。十一面千手千眼観世音菩薩は十一の顔と千の手。更にその千の手のひとつひとつに眼を持つとされています。あらゆる方向のあらゆる人を見失うことなく救済できる力を持った、とても徳の高い観音様です。 延鎮僧都は喜び、その場所に堂宇を建て観音様をお祀りし、『楊谷寺』としました。 楊谷寺は『柳谷観音』として親しまれ、眼病平癒の祈願所として天皇家公家の方々を初め、人々の厚い信仰により支えられてきました。 その信仰と伝統は1200年経った今も変わらずここに息づいています。また、柳谷観音・楊谷寺は「京都・西山三山(楊谷寺、善峯寺、光明寺)」の一つだそうです。
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ここで、昼食休憩になりました。


休憩後、長岡天神駅まで歩きました。

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京都縦貫自動車道をくぐり抜けると長岡天神駅までもう少しです。
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京都縦貫自動車道沿い下の道を歩きます
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この後、長岡天神駅まで歩きました。


ご訪問していただきありがとうございました。



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