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高校野球メモリアムパークを訪ねて(兵庫、大阪) [ウォーキング兵庫県]

「高校野球メモリアムパークを訪ねて」に参加してきました。(20170817)

高校野球メモリアムパーク
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豊中市の高校野球メモリアムパーク及び尼崎市の街並みなどを歩いてきました。

当日は曇り、晴れ、気温は33.8℃、暑い中のウォーキング。

こまめに休憩、給水しながら、汗を一杯かいてきました。

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集合場所JR 伊丹駅を出発して空港地下道、高校野球メモリアムパーク、大石塚古墳、原田神社を経由して豊島公園まで歩きます。

JR 伊丹駅を出発します。
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途中の公園で休憩した後、空港地下道を通り、高校野球メモリアムパークへ向かいます。

空港地下道
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川沿いを歩きます。
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高校野球メモリアムパーク
2017年春に高校野球発祥の地・豊中グラウンド跡地のメモリアルパーク(大阪府豊中市玉井町)が、記念公園としてリニューアルオープンした。2018年夏の全国高校野球選手権大会が100回目を迎えるのに合わせ2017年1月から工事が進められていたそうです。
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高校野球メモリアルパークを見学した後、大石塚古墳、原田神社を経由して豊島公園に向かいます。

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大石塚古墳(おおいしづかこふん)
大石塚古墳は豊中台地の中央位置する桜塚古墳群(さくらづかこふんぐん)の一つ。北側に位置する小石塚古墳と南北方向にほぼ主軸を揃えるなど、計画的に築造されたことがうかがわれる。横にある小石塚古墳とともに、昭和54年の史跡整備事業に伴って墳丘・規模などの確認調査が実施された。 3段築成、全長80メートル以上、後円部径約48メートルで、桜塚古墳群で最も大きな古墳。墳丘には河原石が葺石として、各テラス
面には玉砂利がそれぞれ敷き詰められており、「石塚」の名の由来となったといわれる。かつて、墳丘の平坦面には円筒形埴輪と朝顔形埴輪が各々3体一組で配されていたそうです。
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原田神社(はらだじんじゃ)
社記には、七世紀末に天武天皇が悪疫流行のため邪気ばらいの詔勅を下し、神宝・神鏡・獅子頭を納めて祈願したとありますが、正確な創建は不明。本殿は国の重要文化財に、秋の獅子神事祭は市文化財に指定されているそうです。
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豊島公園(てしまこうえん)
豊中市のほぼ中央に位置する公園で、ローズ球場やテニスコート、バラ園などがあり、市民の憩いの場になっているそうです。
豊島公園は「てしまこうえん」と呼ぶのですね。
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ここで、昼食休憩になりました。


昼食休憩後、 白井神社、瓦宮皇産霊神社、御園素盞嗚神社を経由してJR 塚口駅まで歩きました。

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白井神社(しらいじんじゃ)
古くより歯神社の俗称で親しまれ、歯患平癒に霊験があると伝えられ、今日でも歯科医をはじめ、医療関係者や医師を志す方々が参拝に来られます。御礼詣りに祈願者が「鯰(なまず)の絵馬」を奉納する習慣があり、一部現存しています。これは、ご祭神の「天之手力男命(あめのたじからおのみこと)は、立派な髭を携えていたことから、その化身が鯰である、というゆえん。このご祭神は、日本神話からうかがえるように、力持ちで丈夫な身体であるとされ、健康を願う多くの方に親しまれています。創祀年代は不詳ですが、享保年間発行の「摂津誌」には、「白井天皇祠穴太村に在り隣村亦各々祠を建てて之を祀る」と記されているそうです。
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猪名川を渡ります。
新幹線が通過しました。
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瓦宮皇産霊神社 (かわらのみや すめみむすびじんじゃ)
産霊(むすび)の神二柱をお祭りした当社は、江戸時代までは大梵天宮と称されていましたが、明治以降、現在の御社名と定められました。むすび、とは、あたらしい何かを生み出すこと、そのちからのことを申します。男女が結ばれる、と申します。古来安産を祈願する参拝者が多いのも頷けるところでしょう。昭和40年に社殿社務所が竣工されましたが、阪神大震災の被害を受けましたが、平成13年に復興事業が完遂したそうです。
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御園素盞嗚神社(みその すさのおじんじゃ)
御本殿は昭和48年、氏子の人々のご協力により竣工されたもので、最近化粧直しをしました(平成21年6月現在)。御園という地名からも、この地域が稔りに恵まれてきたことがうかがえますが、当素盞嗚神社も、五穀豊穣、無病息災を願う農家の方々の信心の拠り所だったようです。9月17日には「湯上神事」といって、巫女が煮立った釜の湯を笹で掬って飛び散らせる所作を行うのですが、その湯に当たると無病息災で過ごせるというので、子供だんじり拝見を目当ての方々とともに、お参りする人が詰めかけるそうです。
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この後、JR 塚口駅まで歩きました。

JR 塚口駅
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ご訪問していただきありがとうございました。




nice!(34) 

城東区をあるく(大阪) [ウォーキング大阪24区]

「城東区をあるく」に参加してきました。(20170808)

八劔神社
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大阪城東区の歴史的な街並みを歩いてきました。

当日は曇り、晴れ、途中から雨が降り出し、気温は30.5℃。蒸し暑い中のウォーキングでした。

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集合場所JR 京橋駅を出発して若宮八幡大神宮、皇大神宮、栄照寺、巡航船の船着き場跡、西放出公園を経由して左専道公園まで歩きます。

集合場所JR 京橋駅近くの広場
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京橋東側界隈を通ります。
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蒲生行者講の前を通り、若宮八幡大神宮に向かいます。

蒲生行者講(がもうぎょうじゃこう)
蒲生行者講は、三百余年の間、蒲生村民の安全と繁栄を念じてきました。大峯山上の行場で厳しい山行を終えて下山してきた人に、体をまたいでもらうと強くなるというので、人々は、道に横たわってまたいでもらったそうです。大峯山の麓(洞川)の宿場の元禄時代の宿帳に、この講の講まいりの記録が残されています。町の守護神として祠られている不動明王や役行者、弘法大師像などは、大正末期から昭和の初期に建てられ、近在の人たちにより手厚くお奉りされているそうです。
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若宮八幡大神宮(わかみやはちまんだいじんぐう)
若宮八幡大神≪仁徳天皇≫を祭神とする神社で、創建年月は定かではありません。社地は、昔から村内の小さな丘にあって、楠や榎などの大木がうっそうと繁り、昼なお暗い感があったと伝えられています。中でも楠の老大樹は、明治18年(1885年)まで神木として崇敬されていました。境内にあるクスノキやムクノキなど11本の樹木が、平成9年10月31日大阪市保存樹林に指定されました。大坂冬の陣のとき、徳川方の佐竹義宣が境内に陣を張り、戦勝祈願したといわれているそうです。
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今福・蒲生の戦いの跡を通過して皇大神宮へ向かいます。

今福・蒲生の戦いの跡(いまふく・がもうのたたかいのあと)
慶長19年(1614年)、大坂城攻撃のため、現在の天王寺、茶白山に本陣を置いた徳川家康の命により、今福・蒲生は秋田城主佐竹義宣、鴫野には米沢城主上杉景勝が、大軍の陣を置いた。今福・蒲生と鴫野は大坂城の東北に位置している。旧大和川(1704年に付け替えられ、現在は大阪市と堺市の境にある。)をはさんで佐竹軍は北側の今福・蒲生、上杉軍は南側の鴫野と、南北に布陣した。豊臣秀頼は大野治長に命じて三重の柵を造り、この地域を守っていたそうです。
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皇大神宮(こうたいじんぐう)
皇大神宮は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祭神とし、神宮様と称して広く崇敬され栄えてきた由緒ある神社です。現在の社殿は、寛保2年(1742年)、天保13年(1842年)、明治13年(1880年)に改修され、昭和7年(1932年)に大阪城の設計を手がけた古川重春氏の設計により改築された、桃山様式の風雅な流造の社殿です。平安時代末期に摂津国今福村が開発された時、同地に天照大御神をお祀りしたのが始まりと伝えられているそうです。
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栄照寺(えいしょうじ)
鐘の位置が本堂の屋根の横に設置されていました。
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巡航船の船着き場跡(じゅんこうせんのふなつきばあと)
江戸時代から明治時代にかけて寝屋川は、大阪の市街と北河内・中河内をつなぐ交通の要路で、今福は茨田地区の「浜」とともにその中継地として栄えたところです。大正の初期、巡航船は寝屋川の天満橋から片町-鴫野橋-朝日橋を経て、新喜多大橋(今福南1丁目)までを往復し、一時は上流の徳庵まで運行していたこともあります。昭和初期に市バスが寝屋川北岸の片町・極楽橋間に乗り入れるまで、大阪砲兵工廠に通勤する人や学校に通う学生たちなどの重要な交通手段として10年余り活躍しました。今福の船着場は、現在の新喜多大橋と新喜多橋の中ほどにあったそうです。
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楠根川跡緑陰歩道(くすねがわあとりょくいんほどう)
楠根川跡緑陰歩道は、楠根川が昭和44年(1969年)第二寝屋川開削により、放出・天王田・新喜多東間が埋め立てられたのち、その下流域であった新喜多橋南詰から布屋公園までの間を、昭和63年(1988年)に庭園や植栽を配置し、遊歩道として整備したものだそうです。
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西放出公園で休憩後、左専道公園に向かいます。
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左専道公園
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ここで、昼食休憩になりました。


昼食休憩後、 八劔神社、中浜下水処理場を経由してJR 大阪城公園駅まで歩きました。

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八劔神社(やつるぎじんじゃ)
応永3年(1396年)の創祀と伝えられ、八劔大明神・武速須佐雄大神(たけはやすさのおのおおかみ)・罔象女大神(みづはのめのおおかみ)を祭神としています。宝暦年間に京都下鴨の神主が記録した社記によれば、応永のはじめのある夜、鴫野村住民の夢の中に一人の老翁が現れ、「吾は熱田の神なり、跡を此の地に垂れんと欲す。明日汝等出て来て吾を淀川の辺に迎えよ」とのお告げがあったので、翌日、村民十数人を呼んで河辺に来ると小蛇が陸に上がって行ったそうです。その姿は大変悠々としていて、一同がこれに従って行くと、小蛇は川を越えて当地に入り、その留まったところに小さな祠を建てて祀ったとされています。当社は、鴫野村の検地帳が保存され、近世の研究史料となっているそうです。
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大日寺(だいにちじ)
弘仁年間(810年~824年)に弘法大師が創建されたと伝えられています。ご本尊の大日如来は、「摂陽群談」第12巻にも弘法大師手造りの像と記載されています。本堂には大日如来のほか、如意輪観音(にょいりんかんのん)、不動明王(ふどうみょうおう)や釈迦如来(しゃかにょらい)、阿弥陀如来(あみだにょらい)などの優れた仏像が安置されているそうです。
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中浜下水処理場
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OBPのビル
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この後、大阪城公園駅まで歩きました。


ご訪問していただきありがとうございました。



nice!(38) 

茨木歴街道ウォーク(大阪) [ウォーキング大阪府]

「茨木歴街道ウォーク」に参加してきました。(20170806)

西国街道
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大阪茨木の歴史的な街道、神社仏閣などを訪れてきました。

当日は晴れ、37.4℃、とても暑い中のウォーキングでした。

こまめに休憩、給水しながら、汗を一杯かいてきました。

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集合場所JR 茨木駅を出発してレンガのトンネル、総持寺、磯良神社、新屋坐天照御魂神社、安養寺を経由して耳原公園まで歩きます。

JR 茨木駅
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茨木駅から暫く歩いた後、元茨木川緑地を北に歩きます。
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レンガのトンネルを通過します。。

レンガのトンネル
1876年(明治9年)に東海道本線が開通してから、今も現役で、生活の道路として地元の人たちに利用されている、レンガで造られたトンネルどそうです。
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安威川に架かる橋を渡ります。
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総持寺(そうじじ)
総持寺は、大阪府茨木市にある高野山真言宗の寺院。山号は補陀洛山 (ふだらくさん)。西国三十三所第22番札所。本尊は千手観音だそうです。
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総持寺で休憩した後、磯良神社などを経由して耳原公園に向かいます

磯良神社(いそらじんじゃ)
古くから「疣水(いぼみず)さん」と呼ばれ親しまれています。もと天照御魂神社(あまてらすみたまじんじゃ)の境内社でしたが、寛文年間(1661年~1662年)に分かれ現在に至っているそうです。 神功皇后(じんぐうこうごう)が戦に行く時、自分が女であることから、このままの姿では敵に嘗(な)められるので、男装をし、顔をいかめしくするため疣(いぼ)を身につけようと思い、通りかかったこの神社に立ち寄り、祈願して社の前から湧き出ている清水で顔を洗いました。すると、美しかった顔がたちまち大きな疣だらけの黒い顔となりました。戦いが終り、磯良(いそら)神社に戦勝の報告をしたあと、再び社前の清水で顔を洗うと、いままでの醜い顔が消え去り、もとの美しい姿に戻ったので喜び勇んで大和の王城に帰りました。後に磯良神社は、疣水神社と呼ばれ、遠くからもこの清水をくみ取りに来る人が見られるようになったそうです。
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新屋坐天照御魂神社(にいやにいますあまてるみたまじんじゃ)
「新屋坐天照御魂」を社名とする神社は大阪府茨木市内に三社あり、延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳』に「新屋坐天照御魂神社三座 並名神大月次新嘗 就中天照御魂神一座預相嘗祭」として記載される式内社(名神大社)。西福井が中心的な神社。社名にある「新屋」とは「新野」を意味し、古代における新開拓地の意味であるとされるそうです。今回訪れたのは西河原でした。
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西河原公園で休憩になりました。

横にある茨木市立西河原市民プールでは楽しそうに泳ぐ人が沢山いました。
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安威川沿いを歩きます。
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安養寺(あんようじ)
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耳原公園に着きました。
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ここで、昼食休憩になりました。


昼食休憩後、西国街道、郡山宿本陣、郡山公園を経由してJR 茨木駅まで歩きました。


西国街道
冒頭の写真の所を歩きました。

郡山宿本陣(こおりやまじゅくほんじん)
郡山宿は京都と西宮を結ぶ西国街道のほぼ真ん中に位置し、江戸時代には西国の大名などが参勤交代の時に宿泊しました。1718年に類焼にあい、1721年に再建されて以来、およそ290年間そのままの規模で残され、昭和23年に国指定史跡に指定された。御成門のそばにあった椿の木が毎年五色の花を咲かせたことから、「椿の本陣」と呼ばれ、人々に親しまれています。忠臣蔵で有名な赤穂城主、浅野内匠頭も宿泊した記録があるそうです。現在、本陣当主が生活されているそうです。
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郡山公園で休憩になりました。
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この後、ゴルフ場横を通りJR 茨木駅まで歩きました。
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ご訪問していただきありがとうございました。




nice!(51) 

小倉百人一首のゆかりの地区を訪ねて [ウォーキング大阪府]

「小倉百人一首のゆかりの地を訪ねて」に参加してきました。(20170803)


吹田SA18番,20番歌碑説明
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「小倉百人一首のゆかりの地を訪ねて」に久しぶりに参加しました。
今回は18番藤原敏行朝臣、20番元良親王の歌碑を見てきました。

当日は晴れ、35.6℃、とても暑かったですが、気持の良いウォーキングになりました。


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集合場所JR 岸辺駅を出発して紫金山公園、吹田SA18番,20番歌碑、JR吹田駅、高浜神社を経由して中の島公園まで歩きます。

集合場所のJR 岸辺駅
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岸辺駅を出発。しばらく歩くと紫金山公園に着きました。

紫金山公園
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少し休憩した後、吹田SAにある歌碑に向かいます。


吹田SAの中に入ります。
歩いてSAに入るのは初めてでした。
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吹田SA18番、20番歌碑

18番 藤原敏行朝臣(ふじわらのとしゆきあそん)
住の江の 岸による波 よるさへや 夢の通ひ路 人目よくらむ
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20番 元良親王(もとよししんのう)
わびぬれば 今はた同じ 難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ
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この後、JR吹田駅に向かいます。

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JR吹田駅
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少し休憩した後、高浜神社から中の島公園まで歩きます。

高浜神社(たかはまじんじゃ)
吹田の高浜に古くからある大社。天平七年(548)にその始まりがあるそうです。昔から吹田大宮、高浜大社とも呼ばれる吹田総社です。通称は「大宮さん」。春日祭、福神祭(戎大黒祭)、とんど祭、初天神祭、節分祭、稲荷祭、夏まつり、秋まつりなどと行事がたくさんあり、さすが大社ならではの楽しさがあるそうです。
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中の島公園
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ここで、昼食休憩になりました。


昼食休憩後、須賀神社跡を経由してJR 新大阪駅まで歩きました。

神崎川を渡ります。
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須賀神社跡に向かいます。
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須賀神社跡に着きました。

須賀神社跡(すがじんじゃあと)
須賀神社は1910年に近くの中島惣社に合祀されて、神社跡となったそうです。
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須賀神社跡には、巨木として有名な楠があって、大阪府の天然記念物に指定されています。樹齢630年以上で、幹の直径は2mほどもあり、今も健在だそうです。
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この後、JR 新大阪駅まで歩きました。




ご訪問していただきありがとうございました。





nice!(39) 

毛馬の閘門とリバーサイドウォーク(大阪) [ウォーキング大阪府]

「毛馬の閘門とリバーサイドウォーク」に参加してきました。(20170730)

毛馬閘門
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大阪の毛馬閘門と淀川、大川などのリバーサイドを歩いてきました。

当日は晴れ、33.5℃、暑かったですが気持の良いウォーキングになりました。



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集合場所JR桜ノ宮駅近くの公園を出発して源八橋、天神橋筋、長柄橋、毛馬閘門、蕪村碑を経由して城北公園まで歩きます。

JR 桜ノ宮駅近くの公園
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公園を出発して直ぐに源八橋を渡ります。
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源八橋からの景色
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天神橋筋を歩きます。
左前方の「かんてれ(関西テレビ)」前を通過します。
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天神橋筋6丁目を通過します。
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天神橋筋8丁目を通過します。
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長柄橋を右(東)側に曲がります。
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毛馬閘門の北側にある毛馬大堰です。
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今回、毛馬閘門の中を歩きました。


毛馬閘門(けまこうもん)
毛馬閘門は、水面の高さが違う大川などの市内の川と淀川を船が行き来するためにつくられたそうです。写真は旧毛馬第一閘門で重要文化財に指定されているそうです。毛馬閘門は毛馬から大川(旧淀川)を経由して大阪湾に流れる川の制御。一方、淀川大堰は毛馬から西へ流れる淀川の水量の制御をしているそうです。淀川は古くから洪水、治水を繰り返してきた。淀川大堰の完成にはオランダ人ヨハネス・デ・レーケ(1842-1913)助言を受けたそうです。
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休憩後、近くにある蕪村碑を通過して淀川河川敷を城北公園まで歩きます。

蕪村碑(ぶそんひ)
与謝蕪村(よさぶそん)は摂津国東成郡毛馬村(大阪市都島区毛馬町)の生まれ。松尾芭蕉、小林一茶と並ぶ江戸期の三大俳人。江戸中期、芭蕉100回忌を前に起こった俳諧復興運動の中心となった。また、模倣に過ぎなかった中国伝来の南画(文人画)を日本的特色のある絵画に磨き上げ、さらに俳画を絵画の一ジャンルとして確立した。俳句と絵画の両面で大きな足跡を残し、江戸期最大のマルチアーチストといわれるそうです。
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赤川鉄橋の下で休憩になりました。
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城北公園は近くです。

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淀川城北ワンド
ワンドとは淀川本流とつながっているか、水が増えたときにつながってしまうような場所。ワンドの言葉の語源ははっきりしていませんが、「入り江」や「川の淀み」「淵」のことをワンドと読んでいる地方があることから、淀川でもワンドと呼ぶようになりました。そしてこのワンドは「淀川らしさ」の象徴ともなっているそうです。
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城北公園
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ここで、昼食休憩になりました。


昼食休憩後、城北運河、毛馬桜ノ宮公園、大川沿いを経由してJR桜ノ宮駅まで歩きました。

城北運河沿いを歩きます。
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毛馬桜ノ宮公園で休憩後、大川沿いを桜ノ宮駅まで歩きました。

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前回記事はNiceボタンをクローズしていますが、合わせて見て頂けると嬉しいです。


ご訪問していただきありがとうございました。




nice!(48) 

大川水辺・公園緑道のんびりウォーク(大阪) [ウォーキング大阪府]

「大川水辺・公園緑道のんびりウォーク」に参加してきました。(20170726)

毛馬閘門
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大阪の大川沿い、公園緑道を歩いてきました。

当日は晴れ、33.7℃、暑かったですが気持の良いウォーキングになりました。

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集合場所大阪市役所前、川崎橋、泉布観、OAP、毛馬閘門、蕪村碑を経由して毛馬桜ノ宮公園まで歩きます。

集合場所の大阪市役所前
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なにわ橋を渡り、南天満公園を歩きます。
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造幣局の前を通過します。
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泉布館を経由してOAPで休憩になりました。

泉布観(せんぷかん)
大阪市内に現存する最も古い洋風建築で国の重要文化財にも指定されています。泉布観は造幣寮(現在の造幣局)の応接所として明治4年(1871年)2月に落成。泉布観の「泉布」は「貨幣」、「観」は「館」を意味し、明治天皇が訪問した際に自ら命名されたものだそうです。
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OAP
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休憩後、毛馬閘門に向かいます。

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毛馬閘門(けまこうもん)
毛馬閘門は、水面の高さが違う大川などの市内の川と淀川を船が行き来するためにつくられたそうです。写真は旧毛馬第一閘門で重要文化財に指定されているそうです。毛馬閘門は毛馬から大川(旧淀川)を経由して大阪湾に流れる川の制御。一方、淀川大堰は毛馬から西へ流れる淀川の水量の制御をしているそうです。淀川は古くから洪水、治水を繰り返してきた。淀川大堰の完成にはオランダ人ヨハネス・デ・レーケ(1842-1913)助言を受けたそうです。
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淀川大堰(よどがわおおぜき)
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毛馬閘門で少し休憩後、蕪村碑を通過して毛馬桜ノ宮公園まで歩きます。

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蕪村碑(ぶそんひ)
与謝蕪村(よさぶそん)は摂津国東成郡毛馬村(大阪市都島区毛馬町)の生まれ。松尾芭蕉、小林一茶と並ぶ江戸期の三大俳人。江戸中期、芭蕉100回忌を前に起こった俳諧復興運動の中心となった。また、模倣に過ぎなかった中国伝来の南画(文人画)を日本的特色のある絵画に磨き上げ、さらに俳画を絵画の一ジャンルとして確立した。俳句と絵画の両面で大きな足跡を残し、江戸期最大のマルチアーチストといわれるそうです。

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毛馬桜ノ宮公園
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ここで、昼食休憩になりました。


昼食休憩後、大川沿い、東野田を経由して京橋駅まで歩きました。

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東野田
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京橋駅に着きました。
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今回、Niceを閉じさせて頂きます。


ご訪問していただきありがとうございました。




野崎観音と水郷の里・御領へ(大阪) [ウォーキング大阪府]

「野崎観音と水郷の里・御領へ」に参加してきました。(20170723)

野崎観音
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大阪大東市の野崎観音、水郷の里など歴史的な街並みを散策してきました。

当日は曇り、32.3℃、暑かったですが気持の良いウォーキングになりました。



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集合場所JR住道駅近くの公園から泉公園、大阪桐蔭、メノコ橋の欄干石、野崎観音を経由して深北緑地まで歩きます。

JR 住道駅近くの公園を出発します。
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大阪桐蔭
有名な進学校、高校野球、吹奏楽など全国レベルで活躍しているそうです。
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東高野街道を歩きます。
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メノコ橋の欄干石
野崎東部配水場東側の道路端に、「明治三十七年八月築架」「メノコ橋」の銘がある石橋の欄干だけが不自然な形で残っている。これは東高野街道の野崎と寺川の境近くに、メノコ橋が架かっていた名残である。橋は、昭和50年から始まった配水場建設工事と共に井路がなくなってが欄干だけが残された。 メノコ橋は、地名のメノコによる。またこの橋にまつわる話として、次のような話が伝わる。「この道は古くからあり、京と高野山を結び、老若男女貧富を問わず旅人が、高野山へ、京へと通った道である。その中に弘法大師もおられ、大師は修業の地を求めて当地方に滞在された、その時、十日程夜この橋の欄干を枕にやすまれた。そこでネノコ橋と呼ぶようになった。しかし、いつの頃からか、メノコ橋になった」そうです。
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野崎観音に着きました。

階段を上がります。
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野崎観音(のざきかんのん)
野崎観音は、正式名「福聚山 慈眼寺」という曹洞宗の寺院で、年配の方々には昭和初期に大ヒットした東海林太郎の「野崎小唄」の舞台となったことで親しまれています。現在でも、無縁経法要が行われる5月1日から1週間は「ようか日」と呼ばれ、参道にはたくさんの屋台が並び、多くの人々で賑わっています。境内には本堂、鐘つき堂のほか、江口の君をまつった江口の君堂、お染・久松の塚などがあるそうです。

本堂は冒頭の写真です。

見晴らし台からきれいな景色が見えました。
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野崎小唄の歌碑
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お染・久松の塚
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境内に番傘わかくさ川柳会碑がありました。
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野崎まいり公園で休憩になりました。
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深北公園に向かいます。

深北緑地(ふかきたりょくち)
大阪府営の大東市、寝屋川市に位置する緑地公園。面積約30.6ha。広大な敷地の中に、野球 場やテニスコートなどのスポーツ施設や恐竜公園、ロケット広場などの子どもたちが 元気に遊べる遊具などがあるそうです。
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ここで、昼食休憩になりました。


昼食休憩後、三箇菅原神社、水郷の里・御領、南郷公園、東諸福公園を経由してJR 鴻池新田駅まで歩きました。

三箇菅原神社(さんがすがわらじんじゃ)
住道地区の氏神で、1679年(延宝七年)の「三箇村検地帳」には既に名があり、当時は「氏神天満宮」と称されていた。社地内には稲荷社も鎮座し、天神様とともに五穀豊穣の神様である。西の隣接地には曹洞宗宇治興聖寺末・水月院(現存せず)があり、江戸時代までの神仏混合の面影を残していた。社の宝として神刀が奉られており、これは宝永年間の氏子達が神威の高揚を願って奉献したものである。なお、この地は「三箇城址」と書かれた碑が立つように、飯盛城の支城であった三箇城があったとされる候補地のひとつで、碑は1919年(大正8年)に府によって建立されたそうです。
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水郷の里・御領(すいごうのさと・ごりょう)
旧御陵村は河内地方を代表する水郷地帯。低湿地のため古くから水路が縦横に走り、運搬手段として、三枚板と呼ばれた農業用の田舟が活躍していた。水路沿いには、物資を直接搬入できるように、段倉と呼ばれる、一段高いところ設けられた農作物や生活用具を収容するために設けられています。いまは当時の倉がそのまま残っている。御領橋から眺めると水郷地帯であった往時を浮かべることができる。地名の由来は、朝廷の供御領、または室町幕府の御料所からだそうです。
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南郷公園
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ここで少し休憩になりました。

諸福天満宮(もろふくてんまんぐう)
諸福天満宮は、1644年(寛永20年)にこの地に勧請され、菅原道真を祭神としている。平成の修復で、神額の菅原神社と書かれていた板をめくると、天満宮の字が現れた。1752年(宝暦2年)の作成になる菅原道真画像の掛軸を入れた箱の表にも「天満宮」の銘があることなどから、修復を機に本来の天満宮を名乗るほうがよいのではという氏子の方々の意見で、1999年(平成11年)1月1日をもって、諸福天満宮に改称した。大東市の文化財に指定されている本殿内の社は、円柱・破風・木鼻等に見られる彫刻は、江戸初期(檜皮葺一間社流造り)の桃山建築様式を残す。平成の修復で元の鮮やかな色彩が蘇った。1年のうち最も賑やかなのが10月の秋の大祭。村をあげての祭りで、露店が並び、大小の地車(だんじり)が曳かれる。また、境内には歯痛によく効くといわれる歯神さんが祀られているそうです。
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この後、JR 鴻池新田駅まで歩きました。
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ご訪問していただきありがとうございました。




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八尾・寺内町巡り(大阪) [ウォーキング大阪府]

「八尾・寺内町巡り」に参加してきました。(20170719)

常光寺
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大阪八尾・寺内町の歴史的な街並みを散策してきました。

当日は晴れ、34.7℃、暑かったですが気持の良いウォーキングになりました。


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寺内町(じないまち)
古くはこの地を橘島久宝寺といい、早くから親鸞聖人の高第信願房法心の建てた慈願寺があった。 文明2年(1470)蓮如上人がここに布教し顕証寺(久宝寺御坊)を建てた。この御坊を中心に周囲に二重の堀と土屏をめぐらし、街路は基盤の目のようになっていた。 このようにして本願寺門徒衆は戦乱を防ぎ門徒の団結をはかる寺内町を作った。この町では御坊が一切の支配権をもち、久宝寺城主安井氏がこの権を委された。いわゆる中世末期浄土真宗本願寺派などの寺院の境内に発達した集落であるそうです。


集合場所JR久宝寺駅から久宝寺緑地を経由して美園公園まで歩きます。

JR 久宝寺駅南側の公園です。
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公園を出発して久宝寺緑地に向かいます。
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久宝寺緑地に着きました。
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少し、休憩後に美園公園に向かいます。
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美園公園に着きました。
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ここで、昼食休憩になりました。


昼食休憩後、大黒殿、常光寺、大信寺、念佛寺、顕証寺を経由してJR 久宝寺駅まで歩きました。

美園公園を出発すると直ぐに杵築神社を通過して大黒殿、常光寺、大信寺に向かいます。

杵築神社(きづきじんじゃ)
弥生時代の佐堂遺跡内にある産土神で通称「佐堂のお宮さん」で親しまれている。祭神は素盞嗚尊(すさのおのみこと)で出雲の本社から分霊したものと伝えられる。本殿は一間社春日造で覆屋内に鎮座する江戸時代中期の建築様式である。境内には享保18年(1733)宝暦5年(1755)の銘のある石灯籠もあり由緒深い神社である。神社の後方には佐堂狐山という宮寺の土壇の跡があって、舟形の花崗岩に五輪塔を陽刻し、地輪に「元亀元年道智8月」の銘のある墓碑があったが今は佐堂の墓地に祀られてあるそうです。
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大正飛行場の予備滑走路跡
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大黒殿
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常光寺(じょうこうじ)
臨済宗南禅寺末で「八尾の地蔵さん」で名高い。行基の創建で聖武天皇の勅願所であった。南北朝の戦乱で焼失したが又五郎大夫藤原盛継が再興した。足利義満が参詣し、造営の材料を寄進し額を書いた。大阪(坂)夏の陣には金地院崇伝の抱え寺として保護され、藤堂高虎はこの寺の縁側で敵の首実検をし、今でも血天井として残されている。寺宝も多く家光以降の歴代将軍の朱印状がある。八月二十三日、二十四日の地蔵盆は名高く、河内音頭による盆踊りは河内の名物であるそうです。
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大信寺(だいしんじ)
真宗東本願寺の別院、慶長11年(1606)久宝寺村の森本七郎兵衛貞治ら一七人衆は、東西本願寺の分立にさいし、東本願寺教如上人に属したため、村を出て八尾庄四町四方の地を与えられて移住、 八尾御坊を建立、寺内町をつくり、八尾発展の基を開いた。 万治3年(1660)現地に移建 天明8年(1788)京都の本山が焼けたときは、この本堂を移して仮御影堂に代え、10年後再びかえされ旧に復した。 昭和28年3月3日突如本堂の棟がくずれ、その後いまのような全面改修となった。境内には河内県庁跡があり、お逮夜市でにぎあうそうです。
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大信寺で休憩した後、寺内町ふれあい館、顕証寺に向かいます。

長瀬川沿いを歩きます。
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寺内町ふれあい館に着きました。

寺内町ふれあい館
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顕証寺(けんしょうじ)
15世紀に本願寺蓮如上人により西証寺として建立。寺内町の中核的寺院です。5月11日(蓮如忌)には圧巻の10万枚の華が舞う法要が勤められています。毎月11日・27日にはお逮夜法要が500年近く勤められています。市指定文化財の建造物もあり、今もその歴史を伝えているそうです。
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許麻神社(こまじんじゃ)
式内社で、もと牛頭天王と称され、渋川六座の一である。この地は古く巨麻荘といい、河内国諸蕃の大狛連の住地で、その祖神をまつったと伝えられる。境内の手洗いの屋形は、むかしの宮寺久宝寺観音院の鐘楼の名残りである。この寺は、聖徳太子の建立で、戦国時代に兵火に逢って焼失した、 その後観音院のみ復興したが、明治初年廃寺となった。本尊十一面観音はいま念佛寺にある。神社の西方に、むかし弥生式土器を埋蔵したベントウ山があったそうです。
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この後、JR 久宝寺駅まで歩きました。


ご訪問していただきありがとうございました。




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奈良_木陰散策ウォーク(奈良) [ウォーキング奈良県]

奈良_木陰散策ウォーク」に参加してきました。(20170715)

東大寺
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奈良の歴史的な街並みの中の木陰を散策してきました。

当日は晴れ、34.6℃、暑かったですが気持の良いウォーキングになりました。


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集合場所JR 奈良駅を出発して依水園、東大寺、旧奈良少年刑務所、般若寺を経由して奈良豆比古神社まで歩きます。

JR 奈良駅を出発します。

旧JR奈良駅舎
2009年7月25日に「奈良市総合観光案内所」として生まれ変わったそうです。
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奈良県庁前を通ります。
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道路の向かいには鹿と観光客
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依水園の前を歩きます。

依水園(いすいえん)
江戸時代に造られた前園と明治時代に造られた後園。その2つの庭を水の流れでつないでいます。特に後園は、東大寺南大門と若草山・春日山・御蓋山を取り入れた借景庭園。明治らしい特色のよく表現されたすぐれた庭園として国の名勝に指定されているそうです。
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近くには写真入江泰吉旧居がありました。
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東大寺に着きました。少し休憩になりました。

東大寺(とうだいじ)
奈良時代(8世紀)に聖武天皇が建立した寺。「奈良の大仏」として知られています。1998年に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されているそうです。
入り口が工事のために正面に移動していました。
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東大寺から般若時を経由して奈良豆比古神社に向かいます。

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旧奈良少年刑務所(きゅうならしょうねんけいむしょ)
奈良少年刑務所は1908年(明治41年)、「奈良監獄」として完成。明治政府が造った「五大監獄」(千葉金沢、奈良、諫早、鹿児島)で唯一現存。山下啓次郎設計。2017年2月、国の重要文化財に指定。平成28年度末廃庁になった。2020年にホテルとして開業を目指す。刑務所だった施設がホテルへ転用されるのは、日本では初めてだそうです。
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般若寺
(はんにゃじ)
般若寺は、奈良市北部・奈良坂(奈良きたまち)に位置する真言律宗の寺院。山号は法性山、本尊は文殊菩薩。コスモス寺としても有名だそうです。
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奈良豆比古神社(ならずひこじんじゃ)
光仁天皇の父施基(志貴)親王などを祭る社。10月8日夜に行われる翁舞は町内の翁講中により奉納されるもので、国の重要無形民俗文化財(平成12年)に指定されているそうです。
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樟の巨樹
本殿裏手には樹齢千年を超える天然記念物「樟(くすのき)」の巨木があり、想像以上の大きさと巨樹が持つ威厳に圧倒されました。
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ここで、昼食休憩になりました。

昼食休憩後、 黒髪山稲荷神社、コナベ古墳、平城宮跡大極殿を経由して近鉄大和西大寺駅まで歩きました。

黒髪山稲荷神社(くろかみやまいなりじんじゃ)
朱色の鳥居と鎮守の杜がひっそりたたずんでいました。
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奈良自転車道を歩きます。
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半夏生が色づいていました。
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コナベ古墳の横を歩きます。

コナベ古墳(こなべこふん)
コナベ古墳は、奈良県奈良市法華寺町にある古墳。形状は前方後円墳。佐紀盾列古墳群を構成する古墳の1つ。
実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「小奈辺陵墓参考地」(被葬候補者:第16代仁徳天皇皇后磐之媛命)として陵墓参考地に治定されているそうです。
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平城宮跡に着きました。

平城京(へいじょうきょう)
今から1300年ほど前に奈良市に建設されました。その中心の平城宮には天皇の住まいや官公庁が集まっていたそうです。

大極殿(だいごくでん)
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少し休憩後、近鉄 大和西大寺駅まで歩きました。
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前回記事はNiceボタンをクローズしていますが、合わせて見て頂けると嬉しいです。


ご訪問していただきありがとうございました。




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浪速区をあるく(大阪) [ウォーキング大阪24区]

「浪速区をあるく」に参加してきました。(20170711)

湊町リバープレイス
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大阪の浪速区の歴史ある街並みを歩いてきました。

当日は晴れ、34.0℃、暑かったですが気持の良いウォーキングになりました。


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地図 (1).JPG



集合場所湊町リバープレイスを出発して勘助島の渡し碑、浪速神社、唯尊寺、難波八阪神社、大国主神社、高岸公園まで歩きます。

湊町リバープレイスを出発して近くの公園で休憩になりました。
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休憩後、暫く歩くと京セラドーム大阪が見えてきました。
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勘助島の渡し碑
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木津川を渡ります。
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浪速神社に向かいます。

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浪速神社(なにわじんじゃ)
坐摩(ざま)神社の末社として、坐摩大神(いかすりのおおかみ)を祭神としているほか、猿田彦大神(さるたひこおおかみ)、白髭大神(しらひげおおかみ)も祀っています。 大祭として、元旦祭、春祭、夏祭、秋祭があり、特に7月21日、22日の夏祭は布団太鼓の巡行がにぎやかに行われています。神社前公園には大阪大空襲(昭和 20年3月13日)による犠牲者の供養塔が昭和52年(1977年)に建てられ、再び戦争をしないとの願いと平和への祈りが込められています。昭和60年(1985年)には、無縁仏の供養のため五輪塔が建てられたそうです。
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この後、唯尊寺、難波八阪神社に向かいます。

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唯尊寺(ゆいせんじ)
用明天皇の時代に天種子命(あめのたねこのみこと)の裔である迹見赤摂(とみいちひ)が、木津浦に草庵を構えたのが起こりと伝えられ、その後三十三世光重が蓮如上人の弟子となり明応7年(1498年)坊舎を建立、天正7年(1579年)唯専寺の号と安阿弥作の木像を授与されました。本願寺と織田信長との石山合戦の際の功績により、明治44年(1911年)に本山から由緒寺として認められました。境内には寛永14年(1637年)鋳造の梵鐘(ぼんしょう)や木津勘助の墓があるそうです。
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難波八阪神社(なんばやさかじんじゃ)
古来難波下の宮と称し、難波一帯の産土神(うぶすなのかみ)でした。もとは神仏混交でしたが、維新後、神仏分離により寺は廃絶し、明治5年(1872年)に郷社となりました。当社の祭神、素戔鳴尊(すさのおのみこと)が八岐大蛇(やまたのおろち)を退治され、民の困苦を除かれた故事に基づき始められたという綱曳神事は、「摂津名所図絵」や「摂津名所図会大成」にも紹介されています。また、平成13年(2001年)度には、大阪市で初めての無形民俗文化財に指定されました。現在の社殿は、昭和49年(1974年)5月に改築され、都心部の社として近代的に生まれ変わり、絵馬殿は獅子頭をかたどった規模(高12m、幅11m、奥行10m)の大きなものだそうです。
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絵馬殿
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この後、大国主神社から木津卸売市場、高岸公園まで歩きます。

大国主神社(おおくにぬしじんじゃ)
社伝によれば、神功皇后が三韓を平定されて住吉大社に凱旋報告のため、敷津浦を航海されたとき、敷津浜に荒い波がうちよせられるのを見られ、『これから汐が満ちてはいけません』と松の木を渚に三本植え、素戔鳴尊(すさのおのみこと)をお祀りになり航海の安全を祈られたことから「松之宮」と呼ばれたとあります。敷津松之宮と“木津の大国さん”で知られる大国主神社とが相殿となっています。境内には木津勘助の銅像と折口信夫の歌碑があります。毎年1月9日から 11日には大国まつりが行なわれるそうです。
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木津卸売市場
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高岸公園
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ここで、昼食休憩になりました。


昼食休憩後、 今宮戎神社、廣田神社、通天閣、てんしばを経由してJR 天王寺駅まで歩きました。

今宮戎神社(いまみやえびすじんじゃ)
商売繁盛の神様で「十日えびす(えべっさん)」(毎年1月9日~11日)は「商売繁盛笹持ってこい」の掛け声もにぎやかに福笹をもとめる参拝者が100万人を超え、新春早々のまつりとしてにぎわいます。事代主命(ことしろぬしのみこと)・(えびすがみ)は、もともと漁労民の信仰に始まり、中世に入って市神様として祀られ、大阪の商工業の発展とともに商売繁盛の守神として信仰されてきました。元禄時代には今日と同じような祭礼が始まりました。正面で参拝後社殿の裏へ回ってドラを打ち、再度お願いする習慣があるそうです。
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廣田神社(ひろたじんじゃ)
もと天王寺の鎮守で今宮村の産土神(うぶすなのかみ)ですが創建年代は不詳です。古い由緒を持つとともに江戸時代には廣田の杜といわれ、うっそうとした森のなかに社がありました。当時は境内も広く、紅白二種の萩を植えた茶店があって、萩の茶屋と呼ばれていたといわれています。桜の木も多く美しい社であったとのことです。無病息災・痔疾をはじめ難病治癒にご利益があり、アカエイ(関西ではアカエ)を神使とするユニークな神社で、叡知の“エイ”に通じることから合格・必勝の祈願をかなえるといわれ、広く信仰されているそうです。
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通天閣(つうてんかく)
明治45年(1912年)パリのエッフェル塔をモデルに建設され、全国的にもその名が知られている大阪のシンボル通天閣は、「天に通ずる塔」という意味で、現在の通天閣は2代目です。初代通天閣は、産業振興の目的で開かれた内国勧業博覧会の会場跡地を利用してルナパークと共に造られました。通天閣とルナパークはロープウェーで結ばれ一大娯楽場としてデビューし、市民の憩いの場として親しまれました。昭和18年に解体されましたが、地元の人々の努力により昭和31年(1956年)に再建され、再び大阪のシンボルとしてよみがえり、今も市民から愛され、親しまれています。現在の通天閣は高さ103mで、91mの展望台から晴れの日には淡路島や和歌山まで見渡せるそうです。
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新世界市場の中を通ります。
初めて歩きました。
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市立美術館とアベノハルカスを臨みます。
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てんしば
「てんしば」は新しく生まれ変わった天王寺公園です。
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この後、JR 天王寺駅まで歩きました。


今回、Niceを閉じさせて頂きます。


ご訪問していただきありがとうございました。






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