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「京街道をあるく 4回目」(大阪) [ウォーキング京街道_熊野街道]

「京街道をあるく その4回目」に参加してきました。(20170425)

くずはゴルフ場沿い
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京街道(きょうかいどう)
京街道はの京橋(後に高麗橋)から淀川左岸に沿って進み、淀を経てに向かう街道。文禄3年(1594年)に伏見城築造に着手した豊臣秀吉が1596年(文禄5年)2月に毛利一族に命じて淀川左岸に築かせた「文禄堤」が起源だそうです。「京街道をあるく」は京都から大阪まで6回に分けて歩きます。
京街道全体 (1).JPG


「西国街道をあるく」京都駅から大阪天満宮までのウォーキングの第4回目。今回は樟葉駅から枚方駅まで歩きました。

当日は曇り、最高気温23.4℃。少し汗ばむ感じのウォーキングになりました。

ウォーク票 (1).JPG

地図 (1).JPG

集合場所樟葉駅を出発してを経由して片埜神社、牧野車塚古墳、粟倉神社、西雲寺を経由して御殿山神社まで歩きます。

樟葉駅
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樟葉駅の北側にある「くずはゴルフ場」です。
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片埜神社に向かいます。


藤の花が見事に咲いていました。
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片埜神社(かたのじんじゃ)
社伝では、古くから旧交野郡の鎮守神として崇敬され、延喜式に掲載されている交野郡二座のうちの一座。天正11年(1583)豊臣秀吉が大坂城築城に際して、片埜神社を鬼門鎮座の社として定めたという。現在の本殿は、残されている棟札によると、慶長7年(1602)豊臣秀頼が片桐旦元を総奉行に再建したものだそうです。

片埜神社東門
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少し休憩をとったあと、牧野車塚古墳、粟倉神社、御蔵山神社に向かいます。

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牧野車塚古墳(まきのくるまづかこふん)
穂谷川左岸に臨む交野大地上の標高約22m付近に立地する前方後円墳。墳丘は2段築成で、全長107.5m、後円部54.5m、前方部幅44mを測ります。主軸をほぼ東西にとり、前方部を東に向けています。周囲には、幅10mほどの空堀をめぐらせ、さらに西側から南側にかけて外堤が設けられています。葺石(ふきいし)は認められず、かっては、埴輪が散乱していたようですが、今は見られないそうです。
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粟倉神社( あわくらじんじゃ )
小倉村渚村の古くからの氏神で応神天皇を祭神。粟倉寺も近くにあったと考えられているがまだわかっていないことが多いが、小倉村の地名は栗倉が語源との説もあるそうです。
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西雲寺(さいうんじ)
当山は1630年(寛永7年)超誉存悦上人の開創で、もとは小山寺という真言宗の寺院で、弘法大師座像が伝わる。5代住職随誉上人が21年間の在住中に寺容を整え本堂、庫裡を建立し、寺号を西雲寺と改称したそうです。
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御殿山に登ります。
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良い見晴らしです。
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御殿山神社(ごてんやまじんじゃ)
元は渚の院跡の観音寺境内に設けられていた小倉の粟倉神社の御旅所(おたびしょ)。江戸文政年間(1818~29年)、渚村に産土神勧請の気運が高まり御旅所に八幡大神を勧請して西粟倉神社と称した。明治初年の神仏分離令によって、1869年御殿山に社殿を造営し翌年当地に遷宮し、御殿山神社と改称し現在に至っているそうです。
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ここで昼食休憩になりました。
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昼食休憩後、百済王神社、禁野車塚古墳、意賀美神を経由して枚方駅まで歩きました。


百済王神社(くだらおうじんじゃ)
百済王氏の祖霊を祭る神社。現在の祭神は百済国王と進雄命(江戸時代までは牛頭天王)となっているそうです。
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禁野車塚古墳(きんやくるまづかこふん)
淀川の南岸、生駒山脈の北西山麓にのびる枚方丘陵のなかにある前方後円墳。全長約110mで前方部を西に向けており、周濠その他の施設はない。墳丘上には葺石、円筒埴輪片、形象埴輪片がある。主体部は不明であるが、後円部頂に板石片があり、あるいは竪穴式石室であるかもしれない。淀川流域南岸に残る数少ない前方後円墳の一つであり、淀川が瀬戸内から畿内中心部にいたる主要交通路の一つと推定されることからして、この地域の歴史的発展を示す資料として、この古墳のもつ意義は高いそうです。
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意賀美神(おかみじんじゃ)
意賀美神社は元は現在地から約100m南の旧伊加賀村字宮山に鎮座していた。創建の年代は不詳であるが、開化天皇の時代には饒速日命の五世の子孫で物部氏の遠祖である伊香色男の邸宅がこの地にあり、その敷地内に鎮座していたという。高龗神は水神であり、淀川の鎮守として創建されたものとみられる。延喜式神名帳では小社に列している。旧伊加賀村の氏神として、明治5年(1872年)に村社に列格したそうです。
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この後、枚方駅まで歩きました。

枚方駅近くにあった京街道の道標です。
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前回、前々回の記事はNiceボタンをクローズしていますが、合わせて見て頂けると嬉しいです


ご訪問していただきありがとうございました。




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