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八尾・寺内町巡り(大阪) [ウォーキング大阪府]

「八尾・寺内町巡り」に参加してきました。(20170719)

常光寺
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大阪八尾・寺内町の歴史的な街並みを散策してきました。

当日は晴れ、34.7℃、暑かったですが気持の良いウォーキングになりました。


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寺内町(じないまち)
古くはこの地を橘島久宝寺といい、早くから親鸞聖人の高第信願房法心の建てた慈願寺があった。 文明2年(1470)蓮如上人がここに布教し顕証寺(久宝寺御坊)を建てた。この御坊を中心に周囲に二重の堀と土屏をめぐらし、街路は基盤の目のようになっていた。 このようにして本願寺門徒衆は戦乱を防ぎ門徒の団結をはかる寺内町を作った。この町では御坊が一切の支配権をもち、久宝寺城主安井氏がこの権を委された。いわゆる中世末期浄土真宗本願寺派などの寺院の境内に発達した集落であるそうです。


集合場所JR久宝寺駅から久宝寺緑地を経由して美園公園まで歩きます。

JR 久宝寺駅南側の公園です。
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公園を出発して久宝寺緑地に向かいます。
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久宝寺緑地に着きました。
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少し、休憩後に美園公園に向かいます。
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美園公園に着きました。
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ここで、昼食休憩になりました。


昼食休憩後、大黒殿、常光寺、大信寺、念佛寺、顕証寺を経由してJR 久宝寺駅まで歩きました。

美園公園を出発すると直ぐに杵築神社を通過して大黒殿、常光寺、大信寺に向かいます。

杵築神社(きづきじんじゃ)
弥生時代の佐堂遺跡内にある産土神で通称「佐堂のお宮さん」で親しまれている。祭神は素盞嗚尊(すさのおのみこと)で出雲の本社から分霊したものと伝えられる。本殿は一間社春日造で覆屋内に鎮座する江戸時代中期の建築様式である。境内には享保18年(1733)宝暦5年(1755)の銘のある石灯籠もあり由緒深い神社である。神社の後方には佐堂狐山という宮寺の土壇の跡があって、舟形の花崗岩に五輪塔を陽刻し、地輪に「元亀元年道智8月」の銘のある墓碑があったが今は佐堂の墓地に祀られてあるそうです。
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大正飛行場の予備滑走路跡
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大黒殿
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常光寺(じょうこうじ)
臨済宗南禅寺末で「八尾の地蔵さん」で名高い。行基の創建で聖武天皇の勅願所であった。南北朝の戦乱で焼失したが又五郎大夫藤原盛継が再興した。足利義満が参詣し、造営の材料を寄進し額を書いた。大阪(坂)夏の陣には金地院崇伝の抱え寺として保護され、藤堂高虎はこの寺の縁側で敵の首実検をし、今でも血天井として残されている。寺宝も多く家光以降の歴代将軍の朱印状がある。八月二十三日、二十四日の地蔵盆は名高く、河内音頭による盆踊りは河内の名物であるそうです。
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大信寺(だいしんじ)
真宗東本願寺の別院、慶長11年(1606)久宝寺村の森本七郎兵衛貞治ら一七人衆は、東西本願寺の分立にさいし、東本願寺教如上人に属したため、村を出て八尾庄四町四方の地を与えられて移住、 八尾御坊を建立、寺内町をつくり、八尾発展の基を開いた。 万治3年(1660)現地に移建 天明8年(1788)京都の本山が焼けたときは、この本堂を移して仮御影堂に代え、10年後再びかえされ旧に復した。 昭和28年3月3日突如本堂の棟がくずれ、その後いまのような全面改修となった。境内には河内県庁跡があり、お逮夜市でにぎあうそうです。
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大信寺で休憩した後、寺内町ふれあい館、顕証寺に向かいます。

長瀬川沿いを歩きます。
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寺内町ふれあい館に着きました。

寺内町ふれあい館
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顕証寺(けんしょうじ)
15世紀に本願寺蓮如上人により西証寺として建立。寺内町の中核的寺院です。5月11日(蓮如忌)には圧巻の10万枚の華が舞う法要が勤められています。毎月11日・27日にはお逮夜法要が500年近く勤められています。市指定文化財の建造物もあり、今もその歴史を伝えているそうです。
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許麻神社(こまじんじゃ)
式内社で、もと牛頭天王と称され、渋川六座の一である。この地は古く巨麻荘といい、河内国諸蕃の大狛連の住地で、その祖神をまつったと伝えられる。境内の手洗いの屋形は、むかしの宮寺久宝寺観音院の鐘楼の名残りである。この寺は、聖徳太子の建立で、戦国時代に兵火に逢って焼失した、 その後観音院のみ復興したが、明治初年廃寺となった。本尊十一面観音はいま念佛寺にある。神社の西方に、むかし弥生式土器を埋蔵したベントウ山があったそうです。
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この後、JR 久宝寺駅まで歩きました。


ご訪問していただきありがとうございました。




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